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マラソンの後半戦

執筆者の写真: masahiko fukuda
masahiko fukuda
6月21日
読了時間: 3分

 4月のロンドン・マラソンでケニアとエチオピアの2人の男子選手が、人類史上初めて2時間の壁を破ったことが話題になりました。ご承知のように古代ギリシャを起源とするマラソンは、長い人生に例えられてきました。

 

差が開く高齢社会

 「高齢社会は『マラソンの後半戦』と言われるんですよ。差が開くからです。体力的にも経済的にも」。随分前のことになりますが、ジェロントロジー(高齢社会総合研究学)の専門家から、こんな話を聞かされたことがあります。

 

 分かりやすいのは体力です。70代で介護を受けている人もいる一方で、90代でゴルフを楽しんでいる人も結構います。経済力でいえば、相続税が心配な富裕層もいる一方で、年金の少ない高齢女性の貧困もしばしば指摘されています。

最近話題になっているのは「デジタルデバイド」(情報格差)です。アナログ人間の自分を棚に上げての話ですが、パソコン、スマホなどで、インターネット上の情報を得て活用する力の差のことです。











どこを見るかで変わる印象

 「生きがい」の格差もあります。生き生きした人の特徴は、趣味、ボランティア、地域活動、生涯学習など多彩な活動を同時にしていることです。そんな一人に、手帳を見せてもらったところ、連日予定がびっしり。一方、退職後これといってやることがなく、テレビのリモコンを手に退屈な暮らしという話も、よく耳にします。

 

 ですから高齢者、高齢社会のどこを見るかで、印象が変わってくるのですね。高齢者、高齢社会を見る上での難しさは、このあたりにあります。

 

 と、まあ。マラソンの例えで偉そうなことを書きましたが、マラソンには苦い思い出があります。子どものころから短距離走はまあまあでしたが、長距離走が大の苦手でいつも最下位クラス。校内マラソン大会などが近づくと本当に憂鬱でした。

 

弱者と多様性への視点

 そんな体力のない少年も、「人生マラソン」の折り返し点をとうに過ぎ、さまざまな人生模様が見えてくるようになりました。そしてマラソンの後半戦の例えは、二つの意味で重要だと感じています。

 

 一つは、少年の頃の私のように先頭集団からはるかに遅れ、健康だけでなく、経済、情報などの面で弱い立場の人をどう支えていくかという視点。

 

 とはいっても「高齢者は弱いもの」「高齢者は社会の負担になるだけ」といった決めつけは、エイジズム(高齢者への偏見)と呼ばれ、体力、能力のある高齢者の存在を見落としかねません。多様な高齢者の可能性に目を向けることが第二のポイントです。

 

 弱者と多様性への視点。このあたり、高齢社会の特徴、諸課題を考えるスタートにしましょう。

                         (2026年6月)

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