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「全身全霊はもう…」最終回 ④森鴎外の「予言」

  • 執筆者の写真: masahiko fukuda
    masahiko fukuda
  • 8月31日
  • 読了時間: 3分

 かなしきは小樽の町よ…」。明治末期に、経済活動に奔走する小樽の人々を詠んだ歌人石川啄木の話題を前回のコラムで紹介しました。啄木は上京後、文豪森鴎外と交流しています。その鴎外は明治末期、小説「青年」一節に次のような文章を残しています。

 

その先に生活はない…

 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。

現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

 

 これ、戦後の多くの男性サラリーマンの姿に重なりませんか。まずは学校に入る。将来に備えて、先生の言うことをよく聞いて一生懸命勉強しようとする。学校を卒業すると、次は職場。上司の言う通り営業成績をあげノルマを達成しようとする。時折、悠々自適の生活を夢見て。そんな生活を長年続けて定年退職の日はやって来ます。その日から、先生、上司はいない。目標もなくなります。さて。どうしたら? なすこともなく家にいる。「その先に生活があると思ったら、生活はない」のです。今のわが身ともやや重なり、鴎外の表現が予言のように響きます。

 

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明治と現在、共通点は息苦しさ

 経済学者の松沢裕作さんは明治時代と現代は生活水準、社会保障の仕組みなどで大きく違いながら、似ている点があることを指摘しています。それは近代的な資本主義の中で、「努力すれば何とかなる」「競争の勝者は優れている」という思考法がはびこり、みんなが必死に競争に参加しなければならない息苦しい社会であるという共通点です。

 

 多くの人が全身全霊で働いて、築き上げてきた戦後の日本。平均寿命は世界のトップクラス。GDP(国内総生産)は中国、ドイツに抜かれたとはいえ、世界第4位の経済大国です。しかし、世界経済フォーラム(WEF)の2025年レポートによると、男女平等の指標となるジェンダーギャップ指数で日本は118位。国連の関係団体が発表した世界幸福度報告書2025年度版で、日本の幸福度は55位。明治とは状況が違いますが、どうも息苦しい国なのです。

 

新しい価値観を目指す時期

 一方、石破茂総理大臣は昨年来、新しい国家目標として「楽しい国」

を掲げました。明治維新以来、富国強兵で目指した「強い国」、戦後の経済成長による「豊かな国」の後の価値観です。「楽しい国」は、物価高にあえぐ国民から批判も浴びました。確かに、表現が適切かどうかは疑問が残ります。しかし、戦後の日本は豊かな国であっても、過労死など息苦しさから逃れられない国でもあったと強く思います。戦後80年。一心不乱に駆け抜けてきた時代にそろそろ幕を下ろし、新しい価値観を目指す時期のような気がします。            (「全身全霊はもう…」終わり)

 

参考「青年」 森鴎外(新潮文庫)

「生きずらい明治社会 不安と競争の時代」 松沢裕作(岩波ジュニア新書)

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