「全身全霊はもう…」その① 気鋭の文芸評論家の警告
- masahiko fukuda
- 7月6日
- 読了時間: 3分
「半身(はんみ)で働く社会」を
「燃え尽き症候群は、かっこいいですか?」「全身全霊をやめませんか」…。軽やかな表現に接すると、時代の新しい風に吹かれている気がしてきます。気鋭の文芸評論家、三宅香帆さんのベストセラー「なぜ働いていると 本が読めなくなるのか」(集英社新書)から引用しました。
本書は、日本人の働き方と読書の歴史を振り返り、労働の意味、長時間労働の弊害を探っています。燃え尽き症候群は鬱病に至る病、頑張り過ぎると人は壊れると指摘し、「全身全霊で働く社会」ではなく、「半身(はんみ)で働く社会」を提唱しています。それは「働いても本が読める社会」です。
個人が望む長時間労働とは
この主張。長時間労働をしてきた身としては、喝采を叫びたくなるのですが、気になるのは、「個人が長時間労働を望んでしまうような社会構造が生まれている」という警告です。レーガン、サッチャー政権が採用したことで知られる新自由主義を背景に、自己決定と自己責任論、さらには自己実現を仕事で果たそうとする風潮が広まったといいます。

働き方改革が叫ばれる一方で、企業の要請とは別の形で、長時間労働は残っていくのでしょうか。つい連想してしまったのが、戦後の経済成長を支えてきた男性サラリーマンの退職後の姿です。趣味や地域活動、ボランティアなどで生き生き過ごす人々がいる一方、少なくはない人が生活の目標を見失い、家でテレビのリモコンが手放せない生活。挙句の果ては「濡れ落ち葉」「産業廃棄物」などと揶揄されてきました。一生懸命働いてきたのに。どうも社会の風は冷たい。
人生設計は必修科目だが
こうした現象はなぜ起きたのか。それは長年の長時間労働で燃え尽き症候群のようになり、退職後の人生設計に思いを巡らすゆとりをなくすることも、一つの原因ではないでしょうか。実は、これ。私も他人事ではありません。在職当時は目の前の仕事に追われ、近視眼的な物の見方しかできなくなる危うさをしばしば感じてきました。自慢できるような人生設計をしてきたわけではありません。そのつけ。退職した今になって降りかかっています。
リタイア後のモデルとして昔からあったのは「悠々自適」という生き方でした。平均寿命が短い時代ならそれで良かったかも知れません。しかし、今は人生100年時代。イギリスの著名経営学者、リンダ・グラットンさんは「ライフシフト 100年時代の人生戦略」でマルチステージの人生の必要性を説きました。若いうちからマルチステージを想定した人生設計が必修科目です。それには、読書とともに人生に思いを巡らす時間的余裕が大事になります。
こういう主張をするのは、現役世代の皆さんには、戦後の長時間労働の弊害を繰り返してほしくないからです。冒頭の三宅さんの本の表現を借ります。「濡れ落ち葉」や「産業廃棄物」はかっこいいですか? 人生設計の余裕をなくする長時間労働はもうやめませんか。
Comments