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長嶋茂雄さん 「もう一つの21年」

  • 執筆者の写真: masahiko fukuda
    masahiko fukuda
  • 6月28日
  • 読了時間: 3分

 記憶に残る2度の感動シーン

 記憶に残るあの試合は、天気のいい日でした。中学1年だった

1968年、札幌・円山球場で長嶋茂雄選手のホームランを観たこ

とがあります。鮮やかな一振り。ブーンと弧を描いた打球は外野ス

タンドへ。球場の大歓声! 少年の心は踊りました。当時、札幌での

巨人戦開催は確か年3試合、初夏の風物詩でした。

それから53年後、テレビで長嶋さんに再び胸を打たれます。


 2021年の東京五輪の開会式。不自由な体で、王貞治さんと松

井秀喜さんとともに聖火ランナーを務め、ゆっくり歩む姿。少年の

ころ観たホームランが脳裏をかすめます。ミスタープロ野球でも生

老病死(しょう ろう びょう し)は避けられない。人生の厳粛さを感じ

ました。そして、不自由な体でも尊厳をもって役割を果たす姿に、

ジーンとなりました。


脳梗塞後、積極的に人前に

 現役選手時代は、努力する姿を極力、人に見せなかったそうで

す。しかし、2004年に脳梗塞で倒れ右半身にマヒ、言語に障害

が残った以降、リハビリする姿などをあえて公開するようになりま

す。そして、東京ドームに姿を見せたり、少年野球の指導をしたり

。国民栄誉賞のセレモニーでは、自由の利く左手一本でバットを振

ってみせました。テレビ番組のインタビューには、全国の脳梗塞の

人に「少しでも役に立とうと表に出た」と語っています。

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 超高齢社会に突入した時代

その現役時代は、日本の高度経済成長期に重なったことがよく指

摘されます。振り返えれば、私がホームランに心躍った年、日本の

GNP(国民総生産)は西ドイツを抜き、西側で世界2位に躍り出ま

した。


 では、病を得てからの時代は? その特徴は戦後、驚異的に伸びた

平均寿命を背景とする人口の高齢化です。脳梗塞で倒れて3年後の

2007年。国内の高齢化率は21%を超え世界最速で「超高齢社

会」に突入します。そのうち生まれてきたのは、年金、医療、介護

の負担の世代間対立、そして高齢者を厄介者扱いする風潮です。

一方、高齢者の生き方として「生涯現役」「ピンピンコロリ」が

理想の姿として、もてはやされるようになりました。

 

 年齢を理由に健康維持を諦める人も多い中、健康状態を保つ姿

勢、努力はとても大切です。ただし、人間の最後は老い衰えるのは

避けられない。「病を得た時、高齢で衰えた時に、どう尊厳を持っ

て生きるか」。そういう視点が高齢化した今の社会に欠けているよ

うな気がします。私は、脳梗塞で倒れてから長嶋さんが懸命のリハ

ビリを公開し積極的に社会に出て行った姿に、一つのヒントを見ま

す。「病気になっても、老いても、その姿を堂々と人に見せていい

」というメッセージを感じた人は多いと思います。

 

 17年間の巨人の選手生活が輝くのは当然ですが、その前にも

東京六大学野球のスターでした。とすると、脚光を浴びた選手時代

は21年間です。脳梗塞で倒れてから亡くなるまでも同じく21年

間。「記録より記憶に残る男」と言われた長嶋さん。超高齢社会に

勇気を与えた「もう一つの21年」も長く記憶に残りそうです。


(注) 高齢化率 総人口に占める65歳以上の人口割合

(参考)「NHKスペシャル さよならミスタープロ野球 長嶋茂雄」(6月8日

)、北海道新聞、読売新聞朝刊 長嶋関連各ページ(6月4日)、朝日新聞朝

刊・文化蘭寄稿 蓮實重彦「ミスタープロ野球」 何という冒涜(6月13日)

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